第七章 ブッシュの包括移民法案(esay12doc

 

こうした状況の理解をもとに、アメリカの政策を見てみよう。共和党に代表される保守主義者は、伝統的な価値観を守るという意味で歴史的に移民を歓迎した。農場主や中小企業主の多くは、合法、非合法の低賃金労働者をもとめて移民を支持する。大企業主の多くは主として技術者を移民として歓迎する。こうした雇用主はほとんど、共和党の票田でもあれば選挙資金の貴重な財源でもある。だが、9・11以来、テロリストの潜入防止と非合法移民の激増が大きな政治問題になってきたために、既述の通り、共和党内部は分裂し、移民反対の声が高くなった。

 

一方リベラルな民主党は、しいたげられたもの、窮乏に苦しむものに同情をもち、国境---とりわけ第三世界との国境---の警備にさして熱意を見せなかった。彼らは、非合法移民を母国の体制の犠牲者として、その人権をできるだけ守ろうとする。移民の多くは民主党の支持者である。けれど、民主党の守ろうとしてきたアメリカの低所得層そのものが、非合法移民のために職を失うばかりでなく、犯罪の増加や公共サービスの低下でアメリカ市民が損害を受けているという事実や非難のために、民主党支持者の中でも内部分裂が起った。従来は密入国者の味方だった低所得層の白人、ラテン系アメリカ人や黒人、アジア人、中産階級さえ、反非合法移民をうたうものが増えてきた。つまりこの問題は、共和党民主党の線で分かれるのではなく、白人と褐色人で分かれるのでもない、むしろクラスによる分裂を見せている。

 

 

密入国者は減り始めた?

 

千二百万とも二千万ともいわれる在米非合法移民の処置については未解決であるものの、これ以上の密入国者は防げるだけ防ぎたいというのは、アメリカ人一般を始め、党派を問わず大筋の合意がある。そこで上記のように、これまで存在しながらもルーズに過ぎた移民法は、より厳重に施行されるようになった。 

国境パトロールの増員、監視カメラ、ヘリコプターによる追跡、地域によっては、初回の密入国でも連邦裁判所での審議後の投獄の可能性、麻薬やコヨーテの密輸トラックがぬけられない間隔で建てられたスチールの柱など、密入国のベテランを泣かせる「寛容度ゼロ」という処置が実現しつつある。

 

たとえば一年前までは、洪水にも似たメキシコ人や中米人の流入に悩まされたテキサスの小さな町、デル リオやイーグル パスでは、密入国者を逮捕しても拘留スペースがなく、聴聞の日付をきめた紙片を渡した後には彼らを釈放して、アメリカに留まることを許した。その結果密入国者は、リオ グランデを真昼間に渡ると、国境パトロールのオフィスに競争で駆けつけ、長い列に並んで逮捕されるのを待つ。イーグル パスだけで、二〇〇人以上が逮捕される毎日だったという。イーグル パスのプロセスセンターは、密入国者に食事を与えたり、調書を取ったりで多忙をきわめ、パトロールどころではなかった。「きちがい病院でしたよ、まったく」とはここの責任者の言葉である。聴聞の日付を知らされた密入国者で、その日に出廷するものはまれだったという。

 

「寛容度ゼロ」方策のおかげで、9.11以来始めて、頻繁に使われる越境地点での越境者の数は三分の一になった。パトロール エージェントによれば一つには、司法省が密入国者を、聴聞なしに本国に送還する権限を国境パトロールに与えたことであり、もう一つは、逮捕された者をたとえ不法入国の初犯でも、郡、州、または連邦政府の刑務所に軽犯罪として六ヶ月まで入れられるようになったことだという。テロの危険と、非合法移民の数が飽和点に達したために、世論がついに政府を動かし始めたのだろうか。

 

いずれにしても、寛容度ゼロ」方策は、ついに密入国者狩りを成功させつつあるかにみえる。国境地帯の冬が比較的寒かったことや、メキシコが堅実な経済成長を示していることも減少の一因とみられるので、本当の結果は時間をおいてみないとわからないと、関係者はみな慎重である。コヨーテも今後のアメリカ側の動きを懸命に見張っていることだろう。ただ、密入国者の数は減っても、決して絶無にはならないだろうと関係者の意見は一致しいている。

 

 在米非合法移民をどうするか 

 

密入国者問題にもまして解決を迫られているのは、すでにアメリカに存在する少なくとも一二〇〇万の非合法移民の処置である。メキシコの「移民の家」で筆者自身が目撃したように、彼らの本国送還はすでに始まっている。アメリカはいったい、その八五%はメキシコ人だといわれる不法移民をすべて、本国に送り返すのだろうか。

ここで、在米非合法メキシコ移民をみな本国に送り返すとしたら、いったいなにが起こるかを考えてみたい。

 

第一に、9.11後、国家保安と移民の激増問題が深刻化してから、移民問題の倫理的な面はほとんど言及されなくなった。しかし労働者の大群を送還するのは、歴史的に、移民とともに栄えてきたアメリカの態度としては道徳的な疑問がある。最近では本国送還で別れ別れになった家族、ことに置き去りにされた子どもの問題が新聞をにぎわせるようになった。妻がメキシコに送還され、乳飲み子を抱えて働けなくなった父親がいるかと思えば、その反対のケースもある。両親がそろっていれば、片親を残す考慮は払われているものの、唯一の保護者である父親をメキシコに送られた小学生の姉妹もある。ピュー リサーチ センターの調べによると、非合法移民を親に持つ子どもの数は三百十万に及ぶ。しかも彼らはアメリカ市民である。政府は巨大な孤児院を作るつもりなのだろうか。

 

第二に、本国送還の費用はどこから捻出するのだろう。アメリカ プログレス センター の計算によると、送還費は少なめに見ても、来たる五年間に二〇六〇億ドルかかる。それは米国家保安省の昨年の総予算の六倍になるという。

 

第三に移民にとっての金と時間の問題がある。市民権への道を閉ざし、あるいは二〇〇七年五月の ホワイトハウス−ブッシュ提案を基礎に行なわれた推定によれば、五人家族で六四〇〇〇ドル以上の金を払い、アメリカが、膨大な未処理分を抱えている市民権の申請をするまでに二五年待つというのは、どう見ても非現実的である。こんな条件を承知で、母国に自分の意思で帰るものはほとんどいないだろう。といって、彼らの大半が提案にしたがって六年の労働のあとアメリカに居つけば、非合法移民の数は減らないことになる。

 

第四に、非合法移民はアメリカの建設産業で百四十万人、レジャー産業では一二〇万人、農業では四0万人近くが働いている。これだけの働き手を失ったら、アメリカはどうやってそのアナを埋めるのだろうか。アメリカの農業は早晩、農場をメキシコやそのほかの外国に移すのではないだろうか。「アメリカの農民は保護を要する動物と同様、絶滅の危機に瀕している」と、家族経営の農場主ラヴィス フォーグエス氏は言う。アメリカは外国の石油だけでなく、外国の食べ物に依存することになるかもしれない。  

 

第五に、昨年(二〇〇六年)あたりから、アメリカのべビーブーマーは退職期に入り始めた。アメリカの人口レベルは現在でこそほぼバランスが取れているとはいえ、出産率が人口の現状維持を許さない日本やフランスにつづいて、膨大な年金生活者をもつ高齢化社会を支える労働人口を必要としている。

第六に、不法移民の大半を送還したり、非現実的な障害を市民権への道に設けることは、メキシコに、ひいてはラテンアメリカ中に政治的な緊張や騒乱をもたらすだろう。大量の被送還者は、メキシコを初めラテン諸国の失業者の数を劇的に増やし、毎年アメリカに住むラテンアメリカ移民が母国に送金する六〇〇億ドルを、もっとも貧しいコミュニテイから奪うことにもなる。

 

アメリカに移民を送るメキシコの地方での騒乱は、こうした潜在的な社会不安が根拠なきにしもあらずということを実証しているかにみえる。最近オハカではほとんど州をあげてこの地方の知事を辞職させようという、反乱にちかい動きを起した。無法状態が広がり、自警団もできた。こうした事件は、最近の非合法移民には、政治的な不平分子が多くなったのではないかというアメリカ人の疑いをますます深めさせる。

 

さらにオハカの騒動は、非合法移民はメキシコに、国内を整然と秩序づける時間を与えるための安全弁だという通説を疑わせる。ひょっとすると移民はいま、安全弁の反対の役割をはたしているのかもしれない。移民は危険な不法越境だけではない犠牲を、メキシコ側にも強いているためだ。

アメリカに最大多数の移民を出しているオハカのような地方では、成人男子が移民として去った後、人口の少なくなったコミュニテイは、外国送金なしに生活を立てられなくなった。大黒柱を失った家庭の崩壊も続出する。いきおい、コミュニテイは安定を失い、一触即発の危機をはらむ。国内政治のほとんどあらゆる面で改革が必要だといわれるメキシコ政府への反抗を生むばかりでなく(それがメキシコ政治の改革につながるならまことに望ましいことだが) 相手をまちがえてアメリカに波及する危険を、アメリカ人はすでに目撃しはじめているのである。

不安定な隣邦メキシコはアメリカ経済をそこなうだけでなく、陸路アメリカへの侵入を狙うテロリストやラテンアメリカ系の政治的不満分子のアメリカ襲撃に格好のねぐらとして利用されるだろう。

 

二〇〇五年、パリ近郊でのイスラムの若者の反乱はアメリカ人の記憶にも新しい。大量の非合法移民の本国送還が決まれば、社会の主流から疎外された、大半がラテン系人のセカンドクラスの大集団を作り出す可能性は大きい。それは欲求不満と反抗の温床になりかねない。

 

さてブッシュ大統領は、移民問題を彼の遺産として残したい意向を大統領就任当時から持っていた。移民州テキサスの元知事として、一貫して移民支持の姿勢をとっていたが、世論と共和党内の移民反対のプレシュアに押されて右よりになった。この五月に上院は、共和党、民主党の超党派で、過去二〇年間にもっとも画期的で包括的といわれる改革移民法案の合意に達した。大統領は強力にこの法案を推しているが、その内容を要約すると、以下の通りである。

 

.アメリカとメキシコの国境に三七〇マイルの壁を建設し、さらに車両の通り抜けを防ぐために二〇〇マイルの障碍を設ける。地上レーダーとカメラ用の塔を七〇基建てる。無人の空中巡回機で国境を旋回監視させる。

. 実地踏査員と調査官のほかに、一万八〇〇〇人の国境パトロールを新たに雇い入れる。一日に総計二万七五〇〇名までの外国人を拘留する施設を国境付近に作り、密入国者の拘留に備える。逮捕しては釈放するという茶番劇には終止符を打つ。

3.政府は雇用主に、新規採用の労働者は一八ヶ月以内に、既存の労働者は三年以内に、コンピューターのデータベースと照合して、彼らが労働の有資格者であると確認するよう要求する。

 

ここまでの標準をみたした移民だけ次に進むことが出来る。

 

.年間四〇万から六〇万の臨時移民労働者のために新たにゲストワーカープログラムを創設する。ただし彼らは、アメリカ人労働者が満たすことのできない職に限って働く事が出来る。ゲストワーカーの労働者はヴィザを得て二年間アメリカで働けるが、更新のたびにアメリカ国外に出て一年間暮らせば、ヴィザを二回更新できる。

 

5.四年間の更新可能のヴィザを申請中の移民は、アメリカでその間働くことを許される。ヴィザの所有者は、罰金を払えば、永住権であるグリーンカードを申請できる。所帯主は申請のためには本国に帰らなくてはならない。

 

.ヴィザの発行はこれまでの家族中心から、職業上の技能や、教育や、英語の力を重視するポイントシステムー実力主義に変る。ただし、同等の実力を持つものが複数いた場合は、アメリカに家族の絆を持つものが優先される。

 

7..以上の条件を満たして労働ヴィザで働き、市民権を求めるものは、八年でグリーンカード、一三年で市民権を得られるが、五〇〇〇ドルの罰金を支払う必要がある。

この最新の法案には、さまざまな反対意見がでている。最終的に非合法移民に市民権をあたえることは恩赦にほかならず、合法の手順を踏んで何年も待って市民になった人たちに対して不公平だと絶対に反対する保守右派。労働者のID確認をもとめられた企業家の不満。ポイントシステムは家族の分裂を強いると懸念する移民陣営。大量のゲストワーカーがアメリカで働くことは、企業家にとっては低賃金で使えるセカンドクラスの労働者の存在することにほかならず、それは結局、アメリカの労働者の賃金を全体として引き下げるだろうというユニオン関係者の反対など、それぞれに言い分はあり、二〇〇七年五月末現在、まだ上院を通過していない。下院ではさらにもめることだろう。

 

それにしても、市民権への道を開くことに反対していた共和党の合意を得た民主党と、ポイントシステムでアメリカにより必要な移民を導入することに民主党を譲歩させた共和党はともに、移民問題に大きな進歩を画しつつあることで評価されてよいと思う。おそらく国会の審議が終わるまでには、いくつかの改正が加えられるだろう。しかしすべての関係者を満足させる法案は不可能だ。最終的な「包括的移民法案」が、現在の提案に見られる基本的な達成点を含むものであってほしいと筆者は願っている。

 

密入国者を防ぐために本格的な壁の建設が話題になったとき、メキシコ側からは「友邦に対する裏切りだ」という非難の声が上り、筆者は首をかしげた。メキシコの密輸業者を追跡したパトロールが重罪の判決を受け、メキシコ人の密輸業者が無罪放免になったときも、なんとも不不可解な思いにみたされ、いったいメキシコは、アメリカへの要求を正当化する根拠を持っているのだろうかと疑問をもった。

 

メキシコ側の言い分がなんであれ、筆者に少なくとも理解できるようになったのは、アメリカは至近の隣邦メキシコとの友好関係を絶対に損なってはならないことである。怒りや怨恨を抱いた隣人を持つてはならない。不安定なメキシコはアメリカ経済をそこなうだけでなく、陸路アメリカへの侵入を狙うテロリストやラテンアメリカ系の政治的不満分子のアメリカ襲撃に格好の隠れ家として利用されるだろう。

アメリカには労働力が必要であり、メキシコにはその余剰がある。長年続いてきた持ちつ持たれつの関係を、吟味改善して継続することが重要と思う。

 

 最後に報告しておきたいことがある。

第一に、メキシコからの移民の波もやがては衰える、メキシコは、アメリカの年齢別人口分布のパターンを、三〇年遅れで追っているからだという、メキシコの人口学者の報告がある。三0年後のメキシコは、中南米から移民を迎えているだろうと彼はいう。そうなった暁には、中南米系の移民がメキシコやアメリカの需要を満たすのだろうか。あるいは、中近東やアジアやアフリカから、大量の移民がやってくるのだろうか。移民問題の将来はいまや世界的な広がりを見せてきたといえよう。

 

   

市民権運動以来ほぼ四〇年間に、アメリカは二人の黒人の国務長官を産み、いま一人は大統領候補の名乗りを上げた。差別は人間性につきものだとしても、皮膚の色で個人の価値を決めてしまわない法律は、アメリカの大いなる資産である。イラク戦争以来、あらゆる面で崩壊しつつあるこの国の誇るべき伝統を、国民自身が見失わないために、あらためて現代にふさわしい啓蒙教育がはじめられてもよいのではないだろうか。その実りは世界中の、アメリカへの夢と尊敬を回復する道につながるのではないだろうか。多数の中から一つの強力な国を生み出す難事業にほぼ成功してきたアメリカに、筆者は祈りをこめてエールを送り、この章を閉じる。